今日で二回目の日光通院です。
二回目なので、いくらかは慣れましたが、約100kmの道のりを車で走って行きます。今市からは高速を降りて市街地を走りながら、観光地の中を走り抜けると、病院に到着です。
今日は前回と違ってだいぶ病院らしくなっていました。
工事もほとんど終わっており、真新しい感じの病院内と診察室等きれいになっていました。
体調に関しては、いつもと大差ないのですが、前回よりはめまいなどがしないだけ良いようでした。
壬生の獨協では大体2〜3時間位またされますが、こちらではそれ程患者がいないのか、それ程またされないような気がしました。
周囲の風景は本当に長閑で病院の立地条件としてはこの上なく良いところです。空気もきれいで、病気も癒えてしまいそうです。
はやく直れば良いのですが。
二回目なので、いくらかは慣れましたが、約100kmの道のりを車で走って行きます。今市からは高速を降りて市街地を走りながら、観光地の中を走り抜けると、病院に到着です。
今日は前回と違ってだいぶ病院らしくなっていました。
工事もほとんど終わっており、真新しい感じの病院内と診察室等きれいになっていました。
体調に関しては、いつもと大差ないのですが、前回よりはめまいなどがしないだけ良いようでした。
壬生の獨協では大体2〜3時間位またされますが、こちらではそれ程患者がいないのか、それ程またされないような気がしました。
周囲の風景は本当に長閑で病院の立地条件としてはこの上なく良いところです。空気もきれいで、病気も癒えてしまいそうです。
はやく直れば良いのですが。
先月依頼した「広報きたかわべ 5月号」に当教室のPR広告が掲載されました。
これからも一年位は掲載して教室の存在をPRしていきたいと考えています。
3月号で町民講座の募集をしたところ、6名の応募があり現在も講座は続いています。そのほとんどの人は、この町にダンス教室があるのを知らなかったと述べています。
いかに今までPRが足りなかったかを痛感しました。
もっとも自分のこの6年は病気との闘いでしたから、ダンスがこんなにできるようになるとは思いもよらないことで、今は感謝の日々ですが、入退院を繰り返している頃は、それどころではありませんでした。
体が動かせないのに生徒募集なんて意味ないと思っていましたから。
PRなんてとんでもない、というふうに考えていました。
でも今は少しづつですが、体が動かせるようになってきたので、できる事はやってみようと思えるようになりました。
これからも自分に何が出来るかを考えながら、ダンスの普及に努めて行きたいと考えています。
皆さんこれからも応援よろしくお願いいたします!
これからも一年位は掲載して教室の存在をPRしていきたいと考えています。
3月号で町民講座の募集をしたところ、6名の応募があり現在も講座は続いています。そのほとんどの人は、この町にダンス教室があるのを知らなかったと述べています。
いかに今までPRが足りなかったかを痛感しました。
もっとも自分のこの6年は病気との闘いでしたから、ダンスがこんなにできるようになるとは思いもよらないことで、今は感謝の日々ですが、入退院を繰り返している頃は、それどころではありませんでした。
体が動かせないのに生徒募集なんて意味ないと思っていましたから。
PRなんてとんでもない、というふうに考えていました。
でも今は少しづつですが、体が動かせるようになってきたので、できる事はやってみようと思えるようになりました。
これからも自分に何が出来るかを考えながら、ダンスの普及に努めて行きたいと考えています。
皆さんこれからも応援よろしくお願いいたします!
先日、近所のおじいさんが亡くなり、お葬式がありました。
いわゆる組合になっているので、通夜・葬儀告別式などなどに関わりました。
何度経験したか解らないくらい経験しています。その中には、自分の父母も含まれています。18歳のときから父親の代わりに出席していたので、もう30年ちかく経験している事になります。
でも、いつも思うのですが、亡くなったと言われてもすぐにはぴんときません。亡くなってすぐには、まだその辺にいて、ひょっこり現れてくるような気がしてなりません。
いなくなって暫くしてやっぱりいないんだなと思うようになって初めて亡くなった、という事実を認識できるんです。
だから、自分の周りにいた多くの人たちがまだ生きているような錯覚にとらわれることがあります。
何故姿が見えないんだろう?ああ、亡くなったんだった!という具合です。
いなくなると、覚えているのは本当の身内だけです。ほとんどの人は皆から忘れ去られてしまうんです。
自分もそうなるのかな、とふと思うことがあります。
特に、入院していた頃はベッドの上でよくそんなことを考えたものです。
全く弱気になっているんですね。いけない!弱気になってどうする!と自分を励ましながらなんとかやってきました。
本当に気の持ちようって、大切ですね。病は気から、とはよく言ったものです。後ろ向きの考えをもったら、どんどん病気も事態も悪くなっていきます。悪い事ばかり起こってくるのです。
良いことを考えていたら、良いことばかり起こってくるんです。これ本当ですよ。
亡くなった人々はいつも私たちの周りにいて、私たちの事を見守っていてくれるんです。だから大きな力をいつももらえるんです。有難いことです。
感謝感謝ですね。
いわゆる組合になっているので、通夜・葬儀告別式などなどに関わりました。
何度経験したか解らないくらい経験しています。その中には、自分の父母も含まれています。18歳のときから父親の代わりに出席していたので、もう30年ちかく経験している事になります。
でも、いつも思うのですが、亡くなったと言われてもすぐにはぴんときません。亡くなってすぐには、まだその辺にいて、ひょっこり現れてくるような気がしてなりません。
いなくなって暫くしてやっぱりいないんだなと思うようになって初めて亡くなった、という事実を認識できるんです。
だから、自分の周りにいた多くの人たちがまだ生きているような錯覚にとらわれることがあります。
何故姿が見えないんだろう?ああ、亡くなったんだった!という具合です。
いなくなると、覚えているのは本当の身内だけです。ほとんどの人は皆から忘れ去られてしまうんです。
自分もそうなるのかな、とふと思うことがあります。
特に、入院していた頃はベッドの上でよくそんなことを考えたものです。
全く弱気になっているんですね。いけない!弱気になってどうする!と自分を励ましながらなんとかやってきました。
本当に気の持ちようって、大切ですね。病は気から、とはよく言ったものです。後ろ向きの考えをもったら、どんどん病気も事態も悪くなっていきます。悪い事ばかり起こってくるのです。
良いことを考えていたら、良いことばかり起こってくるんです。これ本当ですよ。
亡くなった人々はいつも私たちの周りにいて、私たちの事を見守っていてくれるんです。だから大きな力をいつももらえるんです。有難いことです。
感謝感謝ですね。